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名古屋の歴史と文化を 訪ねる旅

伝統と歴史と美しさを継ぐ名古屋・有松 ─荒地から日本一の〝絞りの町〟となった ─

名古屋の歴史と文化を 訪ねる旅⑩【最終回】

■江戸時代から400年間続くにぎわいの足跡
染織といっしょに華やいだ有松の町と絞りの文化

【名古屋・有松の地図】
有松_名古屋_地図

【江戸の情景を残す 有松の町屋たち】

服部家住宅

②服部家住宅寛政2年(1790)に創業した絞商。敷地は有松最大であり、江戸から明治にかけての建物が数多く残されている。


岡家住宅

③岡家住宅江戸末期の絞商の主屋の特徴をよく残し、有松でも最大級の建物。建物内部が公開され、見学することができる。


中濱家住宅

⑦中濱家住宅当初は山田与吉郎の建物であり現在は中濱家の建物として使用。蔵の瓦に「山ヨ」の印が刻まれ、名残を感じさせる。


小塚家住宅

⑧小塚家住宅有松でも珍しい卯建のあがる家。文久年間の建物であり、防火対策されている。絞商の特徴がすべて見られる建物。


棚橋家住宅

⑨棚橋家住宅有松を代表する絞商(大井桁屋)の建物として建てられ、屋根には邪気から家を守る鍾馗(しょうき)様が飾られる。


服部幸平家住宅倉

⑩服部幸平家住宅倉上記の服部家の分家。荘厳な蔵は白漆喰の塗籠造で、木造切妻2階建。江戸時代の様相を感じることができる。

【有松の薫りを伝える遺構たち】

有松天満社

④有松天満社有松の氏神。菅原道真が祀られ、町民に慕われる。秋祭りでは巨大な山車が東海道で曳かれ、盛り上がる。


有松山車会館

⑤有松山車会館有松に保存される山車三輌のうちいずれかが展示され、天満社の祭りの雰囲気に触れることができる。祭り自体が市の無形民俗文化財指定を受け、伝統と文化を感じられる。


竹田庄九郎碑

⑥竹田庄九郎碑昭和7年(1932)に庄九郎の有松・鳴海絞りを全国的な工芸品にまで押し上げた偉業を称え建立。題字はゆかりの深い尾張徳川家19代当主・義親(よしちか)によるもの。

東海道を伝わり全国的名物に
将軍や大名たちが所望

 東海道の間宿として始まった有松は、「有松・鳴海絞り」の産地として発展していった。絞りが有松で生産できたのは、木綿の生産地である知多半島が背後にひかえていたことも大きい。木綿は、戦国時代から三河(みかわ)や尾張を中心に生産が始められており、有松は、良質な木綿の産地も近いことから、絞りを大量に生産することができたともいえる。

 寛永(かんえい)18年(1641)、初代尾張藩主・徳川義直(よしなお)の子・光友(みつとも)が世子(せし)として初めて尾張に入国する際、東海道を江戸から下ってきて有松に立ち寄った。このとき竹田庄九郎は、絹の鎧段絞(しころしぼ)りの手綱を献上し、光友から褒賞(ほうしょう)されたという。

 延宝(えんぽう)8年(1680)に徳川綱吉(つなよし)が将軍宣下を受けると、諸国の大名は祝いの品を贈った。このとき2代藩主となっていた光友は、2代・竹田庄九郎に命じて絹の鎧段絞り手綱を作らせ、綱吉の将軍就任祝いの品として献上している。これにより、「有松絞り」の名は全国に広がった。

 東海道が江戸と京を結ぶ街道として発展するにつれ、有松を通る旅人も増加する。人の往来が多くなったことで、「有松絞り」は土産物としてもてはやされるようになった。

 有松では、街道沿いに店も構えていたから行商にでる必要もなく、東海道を行き交う人々に店舗販売ができた。参勤交代の途次に立ち寄った大名が買い求めることも多く、幕末に上洛した14代将軍徳川家茂(いえもち)も、「有松絞り」を買い求め、正室となった和宮(かずのみや)に贈っている。また、土産物としてだけでなく、江戸や大坂にも出荷され、江戸の歌舞伎役者たちにも愛用されたという。

 

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小和田泰経おわだ やすつね

大河ドラマ『麒麟がくる』では資料提供を担当。主な著書・監修書に『鬼を切る日本の名刀』(エイムック)、『タテ割り日本史〈5〉戦争の日本史』(講談社)、『図解日本の城・城合戦』(西東社)、『天空の城を行く』(平凡社新書)など多数ある。

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